大判例

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大阪地方裁判所 平成元年(わ)2732号 判決 1990年6月25日

主文

被告人に対し刑を免除する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、会社員である父Aと母Bの三人兄弟の長男として出生し、昭和六一年三月大阪府立食品産業高等学校を卒業後、同府南河内郡所在の大阪芸術大学文芸学科に進学し、犯行当時四回生であり、被害者Cは、被告人の末弟であり、昭和六三年四月大阪府立花園高等学校に入学し、ラグビー部に籍を置いていたが、同年暮れころから暴走族と付き合ったり、バイク盗により警察に補導されたりして、平成元年一月ころ、同校を中退し、飲食店で稼働したりしていたものである。

Cは、高校を中退したころから粗暴な行動が目立ちはじめ、些細なことから父親や被告人に暴力を振るうようになり、被告人自身平成元年一月ころには金槌で額を殴られ、同年三月ころには木刀で顔面を突かれるなどしてそれぞれ医師の治療を要する傷害を負わされたことがあったが、これに対して被告人は、できるだけ家庭内の騒ぎを大きくさせまいとしてことさら反撃することもなく、両親にもできるだけ伏せるようにしていた。

一方、Cは、兄である被告人が大学生活を続けているのに自分は高校を中退してしまったという僻みを持っていた外、被告人の部屋がCの部屋の奥になっていたので、被告人がCの部屋を通って自室に出入りすることに対し、プライバシーが保てないとして強い不満を抱いていた。

こうした状況にあった平成元年七月二四日午後一時三〇分ころ、被告人が大学の講義を終えて帰宅し、二階東側にある自室に入ったところ、Cが、被告人の雑誌や衣類を乱雑に散らかした状態でテレビを見たりしていたので、Cに対し退いてくれるよう求めたところ、同人が激昂し「入んないうんか。せやったらお前も俺の部屋に入んなよ。」等と怒号して、隣の部屋の押入れに入れてあった被告人の持ち物を被告人の部屋に投げ入れ、更に、その音を聞いて仲裁に上がってきた父親の顔面を殴りつけ、口唇部を三針縫う傷害を負わせた。Cは、一旦は自室に戻ったが、しばらくして再び被告人の部屋にやってきて、「お前、ナイフ持っとるやろ。」等と言いつゝ足元にあった衣類を蹴り、その下にあった被告人のペティナイフを目につくようにして、「使えや。」「お前が使わな俺が使う。」等と挑発したゝめ、被告人はCに逆らわず、その場を収めるためペティナイフを自分の穿いていたジーパンの右前ポケットにしまったが、再び父親が仲裁に入ってきたので、ペティナイフを持っていることを父親に見られないようにするためジーパンの後ろに差し入れた。Cは被告人対し「表に出ろ。勝負したる。」と怒号して部屋の外に連れだそうとしたが父親がCの腰にしがみついてこれを止めようとしたところ、三名揉み合ったまま階段の所にもつれ込み、父親とCが足を踏み外して階段から転げ落ちた。Cは、階段を二、三段落ちたところで踏み止まり、被告人に対し「お前、蹴ったやろう。」と言いながら飛びかかるようにして詰め寄り、被告人の両肩を掴んで押し、階段の西側の部屋に倒れ込んだ。

(罪となるべき事実)

被告人は、平成元年七月二四日午後一時五〇分ころ、大阪府東大阪市<住所略>の自宅二階において、弟のC(当時一七歳)から両肩を掴まれ仰向けに押し倒され、さらに上から乗りかかられて両手で首を強く絞められたうえ頭突きを加えられたため、これに対し、同人を押し退け、あるいは、撥ね除けようと試みたが、功を奏さず、同人が首を絞め続けてきたことから、このままでは同人が手加減せず首を絞め続け、自分は死んでしまうのではないかとの不安に襲われ、自己の生命、身体を防衛するため、とっさにジーパンの後ろに差していたペティナイフ<証拠>を右手で取り出し、同人を死に致すことを認識しながら、その防衛に必要な程度を超え、同人の背中等を多数回にわたり突き刺すなどし、よって、同日午後三時一〇分ころ、同市若草町一番六号若草第一病院において、同人を背部刺創にもとづく左肺刺創により失血死させて殺害したものである。

(証拠の標目)<省略>

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人は殺意がなかったうえ、本件行為は被害者の急迫不正の侵害に対してやむを得ずに出た行為であるから正当防衛であり、また、被告人は被害者から首を絞められ、意識が朦朧となった状態下で反撃したもので当時心神耗弱の状態にあったと主張するので、以下検討する。

一  殺意について

関係証拠によると、本件犯行に使用した凶器は、刀体の長さ約一〇センチメートルの先端の鋭利なナイフであり、十分な殺傷能力を有するが、被告人はこのことを知悉しており、被告人は、右ナイフをもって被害者の背部や頸部を二十数箇所突き刺したり、切りつけたりしていることが認められる。被告人は当公判廷において犯行当時の状況はナイフを掴んだことを含めてまったく記憶していないと供述するが、たしかに、当時被告人は相当興奮状態にあったことは否定できず、創傷の部位、個数などまで正確には記憶していないとしても不思議ではないが、右ナイフで腕をCの背中に回すようにして多数回にわたり突き刺したりしていることや、背部の創傷の形状が切創ではなく刺創であることからみて、犯行当時、ナイフで背中を多数回突き刺すという認識はあったと認めるのが相当である。そして、致命傷の中には深さ約一一センチメートルに及ぶものが二箇所あり、深さが五センチメートルを超える傷は計一一箇所に及ぶことからすると、力一杯身体の枢要部を多数回にわたって攻撃したものであって、兄弟喧嘩に端を発したことを考慮しても、判示のとおりCを死に致す認識があったものと認めることができる。

二  正当防衛について

1  判示のとおり、被告人と被害者は、仲裁に入った父親と三人で揉み合いながら階段付近へもつれ込み、被害者と父親が足を踏み外したため階段から転がり落ち、被害者は、被告人が足で蹴ったため階段から落ちたと思い込んで、「お前、蹴ったやろう。」と言いながら、被告人に飛びかかるようにして詰め寄り、両肩を押しながら階段西側の部屋に両名折り重なるように倒れたところ、被告人の上になった被害者が両手で被告人の首を絞め、更に頭突きも加えてきたのであるが、被害者の右行為が、被告人の生命、身体に対する急迫不正の侵害行為に当たることは明らかである。なお、被告人が本件犯行に使用したナイフをジーパンに入れていたのは、前記認定のとおり「お前が使わな俺が使う。」と言われたゝめであって、決してこれで被害者を切りつけてやろうと思って持っていたのではなかったから、被害者の右行為の急迫性を左右するものではない。

2  被告人は、右の被害者からの暴行から逃れるため、被害者を押し退けあるいはね除けようとしたが果たせず、被害者から首を絞め続けられるため本件ナイフで被害者の背部などを突き刺したものであるから、被告人が右行為に出た際、防衛の意志を有していたことも十分認められる。

3  そこで、被告人の本件行為が、防衛行為として相当であったかどうかについて検討する。

本件犯行は、検察官も指摘するように、被害者が素手で首を絞めてきたのに対しナイフで反撃した点が最も問題であるが、まず、被害者の首絞め行為がどの程度のものであったかについて考えてみると、この点につき被告人は公判廷において、被害者から首を絞められた際、被害者が自分を殺害しようとしているとまでは思わなかったものの、息が苦しく、目の前が真っ暗になって、このまま自分が死んでしまうのではないかと思った旨供述しているが、被告人は、判示のとおり、被害者から平成元年一月ころに金槌で頭部を殴打され、同年三月ころには木刀で顔面を突かれる等の暴行を受け、いずれもかなりの傷害を負ったことがあることに照らすと、今回も被害者が見境いなく暴行を加えて来たと思ったとしても不思議はなく、このまゝ死んでしまうのではないかと思ったという右供述は信用できるものである。従って、被害者が被告人の首を絞めた力は相当強いものであったことが窺われるところ、素手とはいえ、首を強く締めつける行為は、直ちに脳への血液供給不足をもたらす点で生命に対する高度な危険を有する行為であるといわなければならない。

このような暴行に対して被告人はまず、被害者を手で押し退けようとし、更に、ステンレス製の洋服掛けの脚を掴み、これを支えにして被害者をね除けようとしたが、被害者を排除することはできず、被害者の首絞め行為はなおも続いていたことが認められる。確かに、被告人が直前に警察に一一〇番通報したため、間もなく警察官が駆けつけてくることや、父親が近くにいたのであるから父親に助けを求めることが考えられないわけではないが、現に強く首を絞め続けられている以上、警察官の到来を待つことは到底不可能であり、また、父親は階段から転がり落ちたのであるから直ちに助けに来てくれることは期待できない状況にあったと認めなければならない。そうすると、他に取るべき有効な方法は考えられないのであって、被告人が本件ナイフを使用して反撃に出たことはやむを得ない行為であったといわなければならない。

更に、被告人の捜査段階における供述によると、被害者は、被告人が本件ナイフで背部を突き刺すなどしたにもかかわらず、すぐには怯むことなく首を絞め続け、続いて、首から両手を離したうえ本件ナイフを奪い取ろうとしたことが認められ、被害者による急迫不正の侵害は被告人が本件ナイフによる反撃を開始した後も継続していた可能性を否定できない(被告人は、公判廷においてはその当時の記憶はないと供述するが、被告人の捜査段階の右供述は、被害者の両手にナイフの奪い合いの際生じたと思われる切創が存することのほか、被害者の創傷の部位など客観的状況と符合した供述をしており信用できる。)。しかし、ナイフによる反撃行為がやむを得ないものであったとしても、最初の一突き、あるいは強力な一突きによって被害者の攻撃はいずれ弱まり、被告人自身の生命に対する危険も低下するであろうことを考えると、なお首を絞め続けられ、あるいはナイフを奪われそうになったとしても、二十数回にもわたって刺突を繰り返したり、切りつけたりすることは、防衛に必要な程度を超えているといわざるを得ない。

よって、弁護人の主張は、過剰防衛を認める限界で理由があり、正当防衛であるとの主張は採用できない。

三  責任能力について

関係証拠によると、本件犯行当時、被告人は被害者から首を絞められたりしたことにより驚愕し、相当興奮状態にあったことは推認できるが、犯行状況をまったく覚えていないとする被告人の公判供述は被告人の捜査段階の供述と対比して措信できず、さらに、犯行前の被害者との口論の際には終始冷静に対処しており、被害者に殴打されて父親が出血した際には被害者に気付かれないように一一〇番通報をしていること、犯行直後、父親の言葉に従って救急車を呼んでいることなど犯行前後の状況を併せ考えると、当時被告人が是非を弁別し、それに従った行動をする能力に欠けるところはなかったものと認められる。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するので、その所定刑中有期懲役刑を選択し、右所為は過剰防衛行為であるところ、後記の事情により同法三六条二項を適用し、被告人に対しその刑を免除する。

(刑を免除した理由)

本件は、判示のような経緯から被告人がナイフで実弟を多数回突き刺すなどして殺害した事案であって、その結果は誠に重大で痛ましいものであるが、その発端が被害者の常軌を逸した挑発行為にあったことは明らかである。被告人は、被害者の右挑発にできるだけのらないようにしていたのであるが、突然被害者に組みつかれ、首を絞められたため本件犯行に及んだものであるところ、確かに被害者は素手ではあったが、首を強力に締めつけることは、前記のとおり、直ちに人の生命を奪いかねない危険な行為である。被告人としてはこのまゝでは死んでしまうと思ってジーパンに入れていた本件ナイフを手にしたのであるが、右ナイフは被告人が隠し持っていたのではなく、いわば被害者に無理強いされてジーパンに入れたのであって、被害者も十分予想していた凶器である。

被告人は、このナイフを手にして二十数回も被害者を突き刺しあるいは切りつけているのであって、防衛行為の範囲を逸脱していることは否定できないが、それも突然首を絞められた被告人が、このまゝでは死んでしまうのではないかという恐怖心に駆られ、興奮、狼狽の余り滅多突きしたためであると認めるのが相当である。

以上の事情に加え、被告人と被害者は、被害者が高校を中退して粗暴な振る舞いが目立つようになるまでは仲のよい兄弟であったこと、被告人は本件を深く反省し、実の弟を殺してしまったことの悔恨から拘置所内で自殺を図るまでに思いつめていること、現在大学四回生で、本件犯行にもかかわらず在学が可能であると認められること、前科を全く有しないこと、被害者の遺族でもある両親は勿論被告人の処罰を望んでおらず、関係者からの多数の嘆願書も提出されていることなどの事情を考慮すると、被告人に対しては刑を免除するのが相当である。

よって、刑事訴訟法三三四条により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官髙橋金次郎 裁判官山田陽三 裁判官遠藤邦彦)

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